- Mister Donut of Americaの創始者はハリー・ウィノカー氏で、日本にミスタードーナツができるきっかけを作った。
- ダスキンの創業者鈴木清一は、渡米しミスタードーナツを提携することを決断した。
- 日本のミスタードーナツは、アメリカのミスタードーナツと提携を結び、フランチャイズビジネスを展開。
「MISTER DONUT 創業の想い」を公開!













創始者・創業者の紹介 Mister Donut of America創始者 ハリー・ウィノカー氏 ミスタードーナツ・オブ・アメリカの創始者。 もともとは公認会計士であったが、その職に就いた数年後に、工場の労働者やガソリンスタンドに食事を運ぶフード・デリバリーの会社を開始。その後ドーナツも含むパン・菓子を製造しはじめ、1955年にボストン郊外に1店目のドーナツショップをオープン。 ダスキン創業者:鈴木清一 1911年(明治44年)、愛知県碧南市に生まれる。就職後、肋膜を患い養母の愛情に救われた影響から金光教に入信。1938年、一燈園に身を投じ托鉢求道の生活に入る。1944年、ダスキンの前身であるケントク創立。以後「道と経済の合一」を願う祈りの経営を生涯追求。1963年、ダスキン創業。掃除用具のレンタル事業をフランチャイズシステムにより全国展開し、画期的な流通組織を確立。1971年、ミスタードーナツ事業の導入をはじめとする多角化に乗り出し、日本初の複合フランチャイズ企業として、ダスキン企業グループ及び加盟店を率いた。1980年、68歳で永眠。 日本にミスタードーナツができるまで 1アメリカのドーナツ文化に魅せられる 株式会社ダスキン(以下ダスキン)創業者で当時の社長・鈴木清一(以下鈴木)は、フランチャイズビジネスを学ぶために渡米し、全米にドーナツチェーンを展開するミスタードーナツ・オブ・アメリカ創始者、ハリー・ウィノカー氏と出会いました。「日本でミスタードーナツをやりませんか」と誘いを受けたものの、ダスキンが担っていたお掃除とは畑違いの「飲食業」に興味はありませんでした。しかし渡米した鈴木が本場のドーナツをはじめて食べたところ、確かに日本のものとは全く違っており、おいしかったのです。さらに印象深かったのが、どの店にもドーナツを頬張る人たちの笑顔があふれていること。「日本でもきっと喜ばれる」と確信した鈴木は、提携を決断しました。 アメリカのミスタードーナツ 2「信頼してくれている加盟店のために」一晩悩み抜いて決断 契約交渉のため、再びボストン郊外にあるミスタードーナツ・オブ・アメリカに赴いた鈴木に提示されたのは、「42万5000ドルで日本全国のフランチャイズ権を譲る」という条件。当時の日本円にして1億5300万円、当時のダスキンの資本金の約2倍。あまりに巨額の契約金でした。即断しかねて一旦ホテルに戻りますが、相談しようにも日本は夜中です。一人苦しみ抜いた末の結論は、「フランチャイズの勉強をさせてもらおう。また新たな事業機会を提供して人々の成長につなげよう。」というものでした。ダスキンを信じてくれている加盟店のために、フランチャイズのあるべき姿を学ぶのは本部の使命ではないか。そう決断し、再びミスタードーナツ・オブ・アメリカを訪ねて仮契約を結んだ1970年1月27日が「ミスタードーナツ創業の日」となりました。 ウィノカー氏と対談する鈴木 3未知なる事業へ挑戦する若手によるプロジェクト発足 意気揚々と帰国した鈴木を待っていたのは、「ぞうきん屋が飲食業なんて」と提携を危ぶむ声ばかり。それでもなんとかプロジェクトチームが発足し、事業を進める体制が整いました。若手に成長してもらいたいとの思いから、20代で結成されたチーム。そしてウィノカー氏をダスキン本社に迎え、ミスタードーナツ事業提携契約に正式調印します。1970年、日本で外食産業が本格的に発展を始めた「外食産業元年」の出来事でした。 プロジェクトチームのメンバー 4ボストンでのハードな研修の日々 契約調印から3カ月、プロジェクトメンバーが研修のためアメリカ・ボストンに向けて出発しました。夜12時から昼12時までという変則的な研修スケジュール、食事はほとんどドーナツとコーヒーというハードさのなかドーナツづくりの技術を必死に学び、お客様を最優先する精神こそミスタードーナツのすべてであることを心に刻みました。 ボストンでの研修の様子 5第1号箕面パイロットショップの誕生 1971年4月2日、第1号店として大阪府郊外に箕面パイロットショップをオープン。1号店を開くときウィノカー氏は「お客様に私たちのおいしいドーナツを食べて喜んでいただくこと、私たちの笑顔を絶やさないサービスをいつもお客様に感じていただけること、そしてお客様にミスタードーナツの清潔な雰囲気を楽しんでいただくこと」を誓いとして掲げました。箕面パイロットショップはアメリカ直輸入のドーナツ専門店として新聞でも紹介され、話題の店の味を確かめようと近畿全域からお客様が訪れました。 箕面パイロットショップオープンの様子 箕面パイロットショップオープン当時の店内 当時のチラシ 鈴木清一がミスタードーナツ事業に託した3つの願い こんなにおいしいドーナツを、ひとりでも多くのお客様に食べてもらおう、そしてひとりでも多くの人々に喜んでもらおう。 多くの人々に、新しいビジネスの機会を提供して、ともに成長するチャンスをつくろう。 この事業を通じて、仕事に携わる人々、とくに若い働きさんに大きく成長してもらおう。 ミスタードーナツ事業理念「客の心を心とせよ」 「客の心を心とせよ」という理念は、「商業界」の主幹であり、ダスキン企業集団の恩人でもあった故倉本長治先生が、とくにミスタードーナツのためにお寄せくださった教えです。 この理念が、私たち一人ひとりの気持ちのなかに、いつも息づいています。 今日、ミスタードーナツが社会から高い評価と信頼をいただいているのは、この理念を受けて、つねに「お客様の立場になりきる姿勢」を貫き、またそれを形にあらわしてきたからこそなのです。 ミスタードーナツ全店に「客の心を心とせよ」と刻まれたレリーフがかけられ、ショップで働く人々の心の支え、行動の原点になっています。 ミスタードーナツの歴史に戻る
全文表示
ソース:https://www.misterdonut.jp/businessinfo/history/founder/
ミスタードーナツの動画をもっと見る